みんな自分がすき。

Twitterから逃げてきた女子大生。

Twitterから逃げてきた。

 

はじめまして。

 

 

ブログを書くのなんていつ振りだろうか。アメブロが流行っていたのが中学生の頃だから、かれこれ七、八年ぶりかもしれない。

 

そんな私が何故ブログを書くのか。

 

結論から、私はTwitterから逃げてきました。

 

 

何か嫌なことされたとかそういう明確なきっかけはなくて、ただそれが一番「やばい」ということに最近気づいたのです。

 

私はフォロワーが500人くらいいるアカウントをやっていました。規模で言うと地方の小学校の全校生徒ぐらいですかね。(もうちょっといる?)

 

500人ですから、それはそれはいろんな人がいました。

 

突然DMを飛ばしてきて本名を聞き出そうとするおじさん。

 

自分の知識をひけらかしルー大柴のような喋り方をする意識高い系自称デザイナー。

 

呟く事は元カレへの未練だらけの、何回もアカウントを消しては復活するかまってちゃんメンヘラ女子大生。

 

よくわからん投資をしている口癖は人生楽しんだモン勝ちの男子大学生。

 

年上のセフレがいることがステイタスの何がしたいか分からない女子大生。

 

 

ばらばらのように見えて、私は上記のような人たちと共通の趣味で繋がっていました。

 

何より自分の感じた事にリアルタイムで反応してもらえる。自分の言葉、届いてるんだ!と嬉しくなる事はありました。

 

ですが次第に、自分が病んでるときに楽しそう。自分が楽しい時に悲しそう。そんな人々をみているうちに、自分までその感情に引っ張られていってしまう事に気が付きました。

 

自分が楽しいときくらい、その楽しさに浸っていたいものです。そしてそんな時に悲しい人をみて優越感に浸りたくない。

 

自分が悲しいときくらい、その悲しみに底まで漬かりたい。他人の幸せそうな姿なんて、死んでも目に入れたくない。

 

その上、何万もRTされたツイートに同意できない時。そういう人って、まるで人でなしのように批判される。別にいいじゃないですか。そういう人もいるんだから。

 

そして四六時中蔓延する他者の「怒り」。これもまた苦手でした。

 

 

SNSって自分の発信したい事を好きにつぶやく、発信するものだと思っていたので、いちいち他人(フォロワー)の顔色を伺って自分の好きな事もいえない、いちいち癪に障るフォロワーがいるが体裁を気にしてブロックできないとか、そんなの実際の社会となんら変わりがなくて嫌になってしまったのです。自由な空間かと思えば、逆に生き辛くなっている自分がいました。

 

じゃあ、やめちまえよ!

 

もっとはやく気づけばよかったのですけど。でも、発信する事はやめたくないなぁ。

 

そこで。

 

そうだ!ブログがあるじゃん!となりまして。そして恐る恐る中学時代のブログを発掘したのですが、まぁ私、とても楽しそうに日々のことを自由に綴っていました。

  

  これが逃げてきた、顛末です。

 

それでまぁもう開き直ろうと。なんだか疲れてきてウザイ喋り方になってきたので、そろそろ閉めようと思います。

 

つまり私は開き直って、自分を好きな自分による自分のためのブログをはじめようと思ったわけです。

 

Twitterで気がついたことは、人間、やっぱり自分が大好きで自分の存在を認めて欲しくてたまらないんだな!ということです。

 

それってまったく悪い事じゃないんですよ。でも、それが過剰すぎる人が多いのが私の経験したTwitterでした。みんな自分が大切で大好きでいいんです。でもそれはある程度隠れてる方がいいです。Twitterで学んだ事はそれくらいです。

 

最後に。

 

Twitterをやっている方々やそのものを批判する気はさらさらありません。

いろんな人間がいて、日常ではあえない人々ともつながれるのですから楽しいに決まってます。

何よりリアルタイムが流れていますから、近頃の災害などには専ら使えます。

うまく活用すればいいのです。かしこく。

そして、自分の性格に合うか合わないか。何気にこれが大事だと思います。

ただ、私のような人がきっと世の中には少なからずいると思うので、そんな方々に伝わればな・・・と思いました。

 

 

このブログは、誰にみられてもいいですし、みられなくてもいい。Twitterによって忘れてしまった事を、ここで頑張って思い出してみようと思います。しばらくはリハビリのような記事が続くと思いますが。。。これもいつまで続くかしら。

 

 

それでは。